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2009-11-02 Mon 21:06
チェンジリング=替え子
自分の子供の変わりに置いていかれた醜い子、 などの意味があるそうです。 行方不明になった息子が5ヵ月後に見つかった。 しかし戻ってきたのは我が子ではなく見知らぬ子供だった。 1928年の実話をもとにされた映画らしいのだけれど、 本当に当時のロス市警がこんな状態だったとするなら本当に救いようがない。 保身のために市民を陥れるのなんてザラで、命までも簡単に奪う。 警察がこういう状態だったのなら、当時のロサンゼルスは無法地帯だ。 人間が権力を持つとどうしてもこうなってゆくものなのかと考えると恐ろしい。 この作品は警察の腐敗を描きながらも、 息子を思う母親の心、人間の脆さや狂気、 正しさとはなんなのかなどのようなことをとても上手く描いていたと思う。 ただの正義は勝つというようなものではなく、 正義の危険な部分、悪なはずのものの本当の姿といったように表裏一体の人間の複雑さのようなものがあぶりだされていた気がした。 物語は語りかける。 正しさってなんなのか。 |
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2009-10-24 Sat 20:22
心を持ってしまった空気人形。
心を持ってしまったために、 代用品であることに気付き、 人を好きになり満たし満たされたいと思う。 代用品なんかではなく「私」でなければと思って欲しい。 人は一人では完結できない生き物。 誰かに必要とされることで自分自身を確認する。 あなたが必要と言われなくなったら空っぽになる。 だから何か代わりのもので心を満たそうとする。 かわいらしい空気人形が心を持つというファンタジックな設定や綺麗な映像と、 からっぽの心を抱えながら生きる生身の人間の苦しさ醜さ。 「人形と人間のちがいは燃えるゴミか燃えないゴミかの違い」 いれもの(身体)はそれだけの違いなのに、 「心」があるせいで、感情というやっかいなものを持っているがゆえに味わう孤独。 人間は悲しい。 でも もう嫌だというくらい悩んみながら生きるから「生きている」実感があり、 誰かに必要とされたいと人を求める。 そんな姿が美しいと感じる瞬間がある。 幸せという不確かなものを求めたり、 こうやって色々感じながらここにいるのも「心」があるからだ。 是枝監督の作品の、 いつも最後には人間をあたたかい目で見ている感じが好きだ。 |
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2009-10-24 Sat 18:33
入ると15分だけマルコヴィッチになれる穴。
そんな不思議でシュールな穴に翻弄される1組の夫婦と1人の女。 マルコヴィッチを操って、3人がそれぞれの欲望を満たそうとする。 そんな人間のダーティな部分が滑稽なまでにストレートに描かれていた気がします。 マルコヴィッチの中に入って操ることで、愛する人や名誉を手に入れようとしたばっかりに起こる悲劇。 欲望は満たされても満たされてもどこまでも大きくなるばかり。決して終わりはない。 そんな怖さや、人間の心の脆さと愚かさをちょっとシュールに見せてくれました。 人形使いが人を操り、そして自分自身も欲望に操られているという皮肉。 結局人は人を操ろうとすればするほど、自身の欲望に飲み込まれていく滑稽な生き物のようだ。 設定も、会社の天井が低かったりだとか夫婦がチンパンジー(?)飼ってたりだとか、 いちいち出てくるもの全部が変。 変人や変人好きな方にはたまらない設定だと思います。 そして何より、 ジョン・マルコヴィッチ本人が穴に入ると!!? ・・・えらいことになってました(笑) |
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2009-10-24 Sat 18:31
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
テーマ:MOVIE〜邦画〜 一部フィクションの部分もあるらしいけれど、物語のほとんどが実録とのこと。 私は『あさま山荘事件』についても『連合赤軍リンチ事件』についても、 その時代背景についてもほとんど知識のない状態で鑑賞しました。 そんな私が何を語れるだろうと思いレビュー書くのを何度かためらいもしたけれど、 自分なりの考えや感じたことを残したいと思い書いてみました。 どう考えてもフィクションにしか思えない光景ばかり。 「総括」の名の下に繰り返される暴力。 リーダー格の森と永田の個人的感情によって組織は支配され、暴力によって次々と仲間が死んでいく姿を目の当たりにしながら誰もそれを止めることはできない。 自分が生きるためには、この恐ろしい組織にも順応するしかないという状態。 世の中を変えるための真の革命を目指していたはずの若者たちは、自分達の本来望みもしない方向へと向かっていく。 時代は違うけれど、自分と同じくらいの年齢の若者たちが引き起こした事件。 どれほどの想いを持って挑んだ革命だったのかとかは私には分からないけれど、彼らが必死で命を懸けてでもやろうとした革命に、暴力による「同士の死」が必要だったのだろうか。 私は正直少しも共感できなかった。 でも最後の「あさま山荘事件」で、残った5人の若者が国家を相手に戦おうとした場面を観て思ったことがあった。 権力にたてつく者は排除される。 あの連合赤軍のリンチ事件でも、権力をもった森や永田にたてつくことは死を意味する。 同士がどんどん死んでゆくにつれて、そこから逃げ出すことも意見することもできなくなってくる。 きっとそこにいたほとんどの人は、もうやめたかったはず。でも死ぬのは怖い。 こんな弱さは誰もが持っているものではないだろうか。 この映画を観るまで、私が漠然とこの事件に持っていたイメージは「連合赤軍=暴力集団」のようなもの。 で もそこにいたのは、弱さを持った命がけで革命を志す若者たちだった。 国家権力側から見れば「法律に背いた人を殺すことも厭わない危ない思想をもつ若者」でしかなかったかもしれない。権力をもつ側が常に「正義」の世界。 こういう若者たちがいた、という本当のところを知ることができて良かった。 上手く表現できないけれど、偏った描き方ではなく事実として「あの頃革命を夢見て生きた若者たちが存在した」ということがありのままに描かれているように感じました。 |
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2009-10-24 Sat 18:28
「愛美(娘)はこのクラスの生徒に殺されました」
女性教師のそんな「告白」からはじまる物語。 事件をきっかけに、それぞれの心の底に渦巻く負の感情はどんどん肥大化し、最終章まで連鎖する。そして、それはその後もどこまでも果てしなく広がっていくかのようだ。 愛する者を奪った者への「裁き」は、 決してあけてはいけないはずの心の闇の箱を開いていく。 ひとり、またひとりと。 人はみな、こんな風に独りよがりの世界で生きているのだろうか。 それぞれの独白は、愛する者への愛に満ちている反面、恐ろしいほど自分だけに都合よく、滑稽なほどに自分勝手な妄想で作り上げられている。登場人物の誰一人として共感できない所ばかりのはずなのに、なぜかところどころ自分にも通じる部分があることに気付いた。怖くなった。 一度読み出すと、第1章からもうどうにも止まりません。 自分の闇の箱までも開けられそうで、もう見たくないようなものばかりなのに先へ読み進めてしまう。 何より作者のものすごく切実な思いが込められているようで、その勢いにひたすら圧倒されました。 ラストはかなりぶっとんでますが、 こんなに苦しくて、でも面白い作品には久々に出会ったような気がします。 |
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