
まだまだキムちゃんブーム。
中毒性があります、キム映画。
繁華街のベンチに座る女子大生ソナに目を止めたハンギ。
やって来たボーイフレンドとの幸せそうなソナの姿を見て、強引に彼女の唇を奪う。
そして、ソナに蔑まれたハンギは復讐のためかただ傍に置いておくためか、彼女を罠にかけ売春宿へと売り飛ばす。客をとる彼女の姿をマジックミラー越しに見つめるハンギ。
2人の間にあるのは憎しみなのか、それとも愛なのか…。
とことん落とすことでしかソナを愛せないハンギ。
あまりにも凶暴で屈折した愛し方しか知らない男と、
それに巻き込まれ絶望し翻弄されながらも徐々に違う自分として生まれ変わってゆく女。
ハンギに陥れられたソナの中には、最初は憎しみや絶望しかなかっただろう。
でもいつしかその感情に麻痺し、娼婦である自分に慣れてしまった時、その苦しみの感情は徐々に違うものに変わっていたのかもしれない。
自分をただ見つめ続けるハンギへの依存のようなものなのか、愛情的なものなのかは分からないけれど。
「純愛」と「狂気」とか、そういう言葉で現せるのだろうかこれは。
綺麗なものでも汚いものでもない。
人は色んなものに「こういうもの」というレッテルを貼りたがる。
収入、職種、人種、容貌、年齢・・・まだまだ多くのもので他人を判断し、自分と比べる。
そして優越感や劣等感を覚えたり、美醜を決めたがる。
キム・ギドク映画を観ていると、いつもその基準が揺るがされる。
そして、自分の判断基準はいかに周りの色んなものに操作されてきたのかということを思い知らされる。
それは、娼婦が植物に雨水を与えようとする姿だったり、自分が傷つけられてもなお傷つけた相手をかばおうとするハンギの姿だったり。
その人が何であるか誰であるかは関係なく、その瞬間にどう生きているか、という視点からの美しさを見た気がした。暴力的なシーンなども割と多く刺激の強い映画だけれど、その混沌とした世界の奥のほうに潜む何かを見つけたような気がしました。
それにしても主演のチョ・ジェヒョン、セリフがラストあたりの一言しかないのに異様な存在感。
言葉がなくても、ここまで観ている側に語りかけられるものなのかと思いました。
かっこよすぎます・・・。